たまには目に見えるはっきりしたカタチで親孝行を、と、思うのだが、
まだまだ二人とも、パワーが強くて、私の出る幕はなし。
水は、高い方から低い方に流れる。
まさに、まだ、私のほうが低い。
今、私がしていることと言えば、有事に備えてのスタンバイ、といったところ?
なにかあったら、駆けつけます。(あるいは、誰か代理人を駆けつけさせます。)
それと、あと、元気な顔を見せること。
子供たちにも
。
こんなことではダメだと思うなら、もっともっと力になってあげたらいいのに、
子供たちは、自立していて、私の出る幕はない。
親には甘え、子供にも甘え、結局、手抜きの自分を正当化し、自分を甘やかしている。
「ありがとう」、「感謝しています」、「いつもすみません」、「ごめんね」
この言葉を、おまじないか、呪文のように、じゃんじゃん使って
さぼっている自分は、とても嫌な人間、
そんな風に自分を見ること自体、なんてヒネクレ者なのだろう。
このようなひねくれた書き方をすると、カンに障る方も多いかと思うが、
実際、私は、やぶにらみ人間。
おそらく、あちこちで不評、不人気、非難されていると思うけれど、
あまり人とお付き合いしないから、人の声が耳に入らないので、
厚かましさ、ふてぶてしさに、拍車がかかり、自分の評価の低さに気付かない。
裸の王様だ。
ただし、この呪文、自分の手抜きをリセットするために、悪魔払いのお札のように使っているわけではない。
自然に心から、口に出る言葉なのだが。
でも、ひょっとして、深層心理として、自覚症状なしで、自分を正当化しているのかも知れない???
だが、深層心理は、無意識下のことなので、カウンセラーか、精神科医などの専門家の門戸を叩き、
分析してもらわないと、きっちりハッキリしたことは言えない。
「ありがとう」。
この言葉が出なくて、苦労しているという話題が、よその行きつけのブログで盛り上っていた。
私は、ほいほい、いつでも口癖のように口に出てしまうので、
「ありがとう」を安物にしてしまっている俗悪人だ。
義母も家族も、しょっちゅう、大安売りのバーゲンセールのように「ありがとう」の言葉が口から出る。
環境? 相互影響?
うちは、ありがとう?インフレ。
その言葉を自然体で使う。