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ケア 牵挂

一行は雪の積もった


 スパーホークはクリクが選びだした、タールを塗った大型の平底船の手すりにもたれかかっていた。風が一時的に西向きになったときをとらえて、船は滑るように東へ進んでいた。スパーホークは短衣《チュニック》の中に手を突っこみ、エラナの手紙を取り出した。
〝愛するあなた。すべてがうまくいっていれば、今ごろはゼモック国境のすぐ近くまで来ているはずですね。すべてがうまくいっていると信じなければ、気が変になってしまいそうです。あなたと仲間たちは、きっと成功するでしょう。神ご自身から直接そう言われたようにはっきりと、わたしにはそれがわかっています。わたしたちの人生は不思議な運命に操られているようです。わたしたちは愛し合い、結婚するさだめだったのです。ほかに選択の余地はありませんでした。たとえあったとしても、やはりわたしはあなたを選んだでしょうけど。わたしたちが出会い、結婚したことはすべて、より大きな計画の一部だったのだと思います。あなたのもとに仲間たちが集まってきたことも。あの人たちを除いて、この世界にあなたの手助けをするに足る者がほかにいるでしょうか。カルテンとクリク、ティニアンとアラス、ベヴィエと、若いけれど勇敢なベリット。みんながあなたのもとに、愛と共通の目的のために集まったのです。愛しい人、あなたが失敗することはあり得ません。あれほどの人たちが集まっているんですもの。急いでください、わが擁護者にして夫たるあなた。無敵の仲間たちを率いて古来の敵のねぐらを襲い、オサを打ち倒してください。アザシュも震えることでしょう。騎士スパーホークがベーリオンを手にすれば、地獄が総力を挙げようと敵ではありません。急いでください、愛しいあなた。あなたを守るのがベーリオンだけではなく、わたしの愛もあるのだということを忘れずに。
 愛しています。エラナ?

 スパーホークは何度か手紙を読み返した。花嫁は雄弁術にたいそう長《た》けているようだ。こんな個人的な手紙にまで、演説口調が入りこんでいる。なかなか意気の上がる手紙ではあったが、これほど推敲されていなくていいから、できればもう少し純粋な気持ちの伝わってくるもののほうがよかった。とはいっても、エラナの言葉が真心からのものであることはよくわかっていた。一語一句を磨き上げてしまうという演説家の本能のようなものが、つい顔を出してしまっただけなのだ。
 スパーホークはため息をついた。
「まあ、もう少しお互いのことがわかってくれば肩の力も抜けるだろう」
 そこへベリットが上がってきて、スパーホークはふとあることを思いついた。もう一度手紙を読み返し、すばやく心を決める。
「ベリット、ちょっといいか」騎士はそう声をかけた。
「もちろんです、サー?スパーホーク」
「これを見たいんじゃないかと思ってね」と手紙をベリットに渡す。
 ベリットはそれを見て、困ったような顔になった。
「でも、個人的な手紙でしょう」
「おまえにも関係があると思うんだ。このところ悩んでいる問題を解決するのに役立つかもしれない」
 ベリットは手紙に目を通した。その顔に奇妙な表情が浮かんだ。
「役に立ったか」とスパーホーク。
 ベリットはまっ赤になった。「し、知っていらしたんですか」
 スパーホークは微苦笑を浮かべた。
「おまえには想像もつかないことかもしれんが、わたしにも若い時代はあったんだ。おまえの身に起きたことは、若い男ならたぶん誰でも経験することだろう。わたしの場合は、はじめて王宮に出仕したときだった。相手は貴族の若い女性で、太陽はその瞳から昇ってその瞳に沈むのだと思えたものだ。今でもときどきその人を思い出すことがある――ほのぼのとした気持ちでね。もちろんもう中年の婦人だが、その目で見つめられると今でも甘酸っぱい気分になる」
「結婚しているのにですか、サー?スパーホーク」
「それは最近のことだし、その女性への思いには何の関係もないことなんだ。おまえもきっと幾晩もエラナの夢を見たことだろう。そういうときには誰だってそうなる。たぶん人間はそうやって成長していくんだ」
「女王にはお話しにならないでしょうね」ベリットは衝撃を受けていた。
「たぶんな。しないよ。エラナだって気にするはずはないんだ、別に話す必要などないさ。要するにわたしが言いたいのは、おまえの感じている気持ちも成長の一段階だってことだ。誰もが通ってくる道なんだ――運がよければ」
「じゃあ、わたしのことを憎んではいらっしゃらないんですね」
「憎む? もちろんそんなことはない。もしおまえが若くてかわいい女の子に何も感じなかったとしたら、そのほうがむしろがっかりだったろう」
 ベリットはため息をついた。
「ありがとうございます、サー?スパーホーク」
「いいか、ベリット、おまえはいずれ正規のパンディオン騎士になる。そうなればわたしたちはブラザーだ。〝サー?はいらないんじゃないか。〝スパーホーク?だけでいい。それで自分の名前だということはわかるから」
「それでよろしいのなら、スパーホーク」ベリットは手紙を差し出した。
「代わりに持っていてくれないか。わたしの鞍袋の中はがらくたでいっぱいなんだ。なくしたくはないんでね」
 そして二人は肩を並べるようにして、クリクが船の舵《かじ》取りに苦労してはいないかと船尾に向かった。
 その晩はシーアンカーを流して眠りに就き、翌朝目覚めてみると、空はまだ灰色に曇っているものの、雨と雪はすっかり上がっていた。
「またあの雲です、スパーホーク」ベリットが船尾からやってきて報告した。「かなり後方ですが、間違いありません」
 スパーホークは後方を見やった。実際に目にしてみると、あまり恐ろしいものには見えない。視野の端にぼんやりした影が漂っていたときには名付けようのない恐怖を感じたものだが、今ではよほど注意していないと、どうということのないちょっとした障害といった程度に考えてしまいそうだった。とはいえ、なお危険なものであることは確かだ。騎士の口許に小さな笑みが浮かんだ。神々さえときにはへまをやって、せっかくの効果を台なしにしてしまうことがあるらしい。
「どうしてベーリオンで片付けちまわないんだ、スパーホーク」カルテンが苛立《いらだ》たしげに言った。
「吹き散らしても、また集まってくるだけだ。やるだけ無駄だよ」
「じゃあ何の手も打たないっていうのか」
「そんなことはない」
「どうするんだ」
「無視する」
 午前中なかばくらいに、浜に上陸し、馬を下ろしてから船を海に流した。ふたたび馬にまたがって内陸に向かう。
 湾の東岸は西岸よりもさらに不毛で、岩山は細かい黒い砂に覆われ、風の当たらない場所にだけうっすらと雪が積もっていた。風は身を切るように冷たく、砂と雪を巻き上げて騎士たちのまわりに渦巻いた。一同は口と鼻を布で覆って、永遠の薄暮の中を進みつづけた。
「ゆっくり行け」アラスが目にかかる砂ぼこりを払いのけながら言った。「アーカから街道をたどるというマーテルの考えは、正しかったかもしれない」
「寒くて埃っぽいのは街道も変わらんだろう」スパーホークはかすかな笑みを浮かべた。「マーテルは清潔好きなやつだ。雪混じりの細かい黒砂が何ポンドかやつの襟首に入りこむところを想像すると、多少は気分がよくなる」
「情けない楽しみですね、スパーホーク」セフレーニアがたしなめる。
「わかってます。ときどきこうなるんですよ」
 その晩は目についた洞窟で一泊し、翌朝外に出てみると、風はいつやむともなく砂埃を巻き上げつづけているものの、空はきれいに晴れ上がっていた。
 ベリットはきわめて責任感の強い若者だった。朝一番にあたりを偵察するのは自分の義務だと心得ていて、ほかの者たちがちょうど洞窟の入口の前に集まりはじめたところへ駆け戻ってきた。その顔には激しい嫌悪の表情が浮かんでいた。
「向こうに人がいます、スパーホーク」ベリットが馬を下りて報告した。
「兵士か」
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